カワウによる被害を考える 文 成末 雅恵/加藤 七枝/金井 裕
 
 本会研究センター(現自然保護室)では、
1993年以降、浜離宮庭園のカワウの森林被害をきっかけに、
カワウ問題にかかわることになった。
 ここでは、本会の取り組みを紹介しながら、
カワウ問題を一緒に考えてみたい。
 
社会問題としてのカワウ
 カワウは、集団で営巣し、集団でねぐらを形成する大型の魚食性水鳥である。図8は、カワウの生態系における位置と、被害の発生する状況を模式的に表したものである。カワウは、水中の栄養物を魚という形で取り出すので、結果的に水中の富栄養化を抑制している。またカワウはねぐらや巣に帰って、排泄を通じて土壌に栄養物をもたらす。短期的には、カワウは糞や枝折りで森林を
 
図8
枯らすのであるが、長期的には土壌を肥沃にし森林を育てている。カワウは自然界でこのような水域と陸域の物質循環の役割を担っており、以前は人々のくらしにも、糞が田畑の貴重な肥料として大いに役立ってきた。
 ところが、カワウがねぐらをとったり集団で営巣する山林は、都市の中では公園などごく限られた緑地になってきたため、カワウの造巣活動や糞によって樹木が衰えたり枯れたりすると、たちまち森林被害が発生する。またカワウが採食する河川では、さまざまな魚が放流されているが、これらの魚をカワウが食べてしまう食害が発生してきた。

全国的な生息分布の変化
 図9は、本誌1997年12月号や全国分布調査(環境省委託調査)の調査員に呼びかけて実施したカワウのアンケート調査の結果である。調査期間は、1997年~1998年で、合計300件のアンケート調査結果と文献調査から、各年代ごとのカワウの生息状況を示した。

●1970年代以前の記録
カワウの全国的な分布については、1970年代以前はほとんどわかっていなかった。調査で生息が確認できた県は、図のように1都12県と意外に多く、青森、福島、関東や東海、近畿や九州地方の一部にも、生息地が広がっていたことがわかった。
 カワウなどのウ類は、1946年(昭和21年)まで狩猟鳥であり、明治以降多数のウ類が狩猟されてきたと考えられる。ちなみに、統計のある1923年以降だけでも、年間6~7千羽のウ類が全国各地で狩猟され、長野や栃木などの内陸部でも記録がある。おそらく、カワウは北海道を除く本州以南に広く分布し、内湾や湖沼にも多数生息していたにちがいない。

●1970年代の減少
この頃愛知県の鵜の山でもカワウが少なくなり、1971年には関東で最大だった千葉県大巌寺のコロニーが消失した。アンケート調査の結果では、1970年代に千葉や埼玉で生息が見られなくなったが、石川、鳥取、島根などでは生息が確認された。
 高度経済成長の時代には、主要な採食場所である内湾の埋め立て、水質汚濁などが進行し、その結果カワウは魚が採れなくなったり、羽が油で汚れたり、また化学物質汚染の影響によって繁殖力が低下した可能性が指摘されている。世界的に見ても、ヨーロッパのカワウや北米のミミヒメウなどは、1970年頃にかけて減少し、その原因として環境中の有害物質の蓄積、食物資源の減少、狩猟圧などによって繁殖力が低下したことが報告されている(石田ほか2000)。

●1980年代以降の復活
アンケート調査の結果では、1980年代以降はカワウの分布が広がり、1990年代以降は東北の一部を除いてほぼ全国的に広がった。分布拡大や増加の要因については、まだよくわかっていないが、人間側の営巣地の保護や水質改善なども関係している可能性がある。1999年4月に北海道石狩川の下流でカワウの群れが報告されており(樋口ほか2000)、今後、カワウが北海道でも増加する可能性が出てきた。

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図9

関東地方におけるねぐらの拡大
 関東地方のカワウについて、ねぐらの分布変化を少し詳しく見てみることにしよう。ねぐらとは、夜カワウが集団で休むところであり、そこで繁殖する場合もあるが、繁殖しない場合も多い。図10は、1982年から2000年までの、冬期12月におけるカワウのねぐらの位置を示したものである(日本野鳥の会 2000年に補足)。1972年から1982年には、関東地方では東京都上野動物園の不忍池が唯一のねぐらで、その頃カワウの生息数は関東全体で約1,300羽であった(福田 1981)。
 1983年8月に、不忍池の浚渫工事が行われたのと時を同じくして、多くのカワウが浜離宮公園など別天地を求めて分散した。1991年から1995年にかけては、多摩川や荒川、江戸川沿いにもねぐらが増え、上野を中心に約30キロの圏内にねぐらが広がった。この段階で、カワウのねぐらは13か所約9,300羽(日本野鳥の会 1996)であった。そして、1998年には、ねぐらの分布が約50キロ圏、25か所約1万3,000羽、2000年には約100キロ圏、29か所約1万7,000羽と、カワウのねぐらは急速に拡大している。
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図10   有害駆除の広がり
 ウ類の有害駆除がなかったのは、1963年から1974年までであり、それ以降駆除数は増加の一途をたどっている。とくに近年のカワウの駆除数は、1920年代のウ類の狩猟数に匹敵するほど増えてきている。図2の地図の●印は、カワウの駆除が実施されている地方自治体を示している。駆除数は、その年代や期間の合計駆除数で示してある。須川恒氏が前述しているように、1995年以降、滋賀県の琵琶湖では駆除数が数千羽単位で急激に増えているが生息数も増え、駆除については、今のところ効果があるとは言えない状況である。かえって幼鳥の分散を促し、被害を拡大しているという指摘もある。一方で、カワウは現在でも水中の有害物質の蓄積が高く、再び減少する危険性もはらんでいる。
 カワウの1日の行動範囲は30キロから60キロと言われており、かなり広い範囲で生活しているため、一つの地方自治体で対応することは困難であり、駆除だけに頼っている
現状は問題である。今後各地方自治体や関係者がカワウについての共通認識を深め、漁業者とカワウの摩擦の解消に向けての管理目標などを協議し、被害防除や生息環境の改善も含めて検討していく必要があろう。2001年9月2日に開催したカワウの研究集会も、その第一歩として行ったものである。

被害評価のむずかしさと魚が豊かにすめる川づくり
 内水面漁業者からの被害の声は大きく、カワウやサギ類、カモメ類などの鳥類による被害額は、16億円以上という試算がある(全国内水面漁業組合連合会 1997)。しかし、河川における被害の評価や被害額の算定は、実は大変むずかしい。
 まず、河川は農地と違って公共の場であり、漁業者の生産だけでなく、治水や利水、レクリエーション、環境保全などの場であり、その使用目的は多岐に及んでいる。また、河川の管理者は国土交通省や地方自治体、漁協など多数ある。そのため河川における被害は、魚の現存量やカワウの採食による現存量減少の把握が困難である上、農地に比べて生産物や所有関係が単純ではない。さらに、現在の内水面漁業は8割近くが遊漁業である。つまり、釣り人から入漁料を得るというサービス産業に変化してきているため、第一次産業のような採食量が、被害額に直結しないのだ。
 入漁収入の減少は、釣り人の減少によるものであるが、これはカワウの飛来を含めてさまざまな要因によって引き起こされている。例えば、不景気やレジャーの多様化、釣りブームの変化、河川構造の変化による魚の減少、アユの習性変化や魚の伝染病の影響などである。
 今年(2001年)は関東地方のある地域では、天然遡上のアユが増え、カワウも増えたが釣り人も増えたという例がある。この事例は、漁業者にとっても一つの問題解決の方向を示しているように思われる。つまり、カワウと漁業者との対立を軽減していくためには、魚が隠れる場や産卵できるような環境をつくり、遡上アユや魚を増やしていくことである。
 私たちは、東京の秋川漁業協同組合の方々から相談を受けて、カワウの食害を軽減するための方法を一緒に検討している。そのため国土交通省の多摩川上流出張所や東京都水産課、本会奥多摩支部などの関係団体とも協力している。このような中で、私たち自身も水の中の環境や魚のことを考え、漁協の働きを知るようになってきた。例えば漁協の方たちは、定期的に河川の水質調査をしたり、堰の下に玉石を積んだりして、魚の生息環境を点検し改善しようと努め、魚の立場で行政にさまざまな働きかけをしている。そしてこれを受けて、多摩川上流出張所では、上流にせきとめられていた土砂を堰の下に運ぶなどの、改善策を行ってきた。野鳥の会としても、カワウ問題をきっかけに、魚が豊かにすめる河川づくりや自然環境復元のために、力を合わせていくことが大切になってきた。
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