2021年12月16日
日本野鳥の会らが、事業者に計画の中止・撤回を要請
北海道・環境省・苫小牧市・厚真町へ計画の抜本的見直しを勧告するよう要望
(公財)日本野鳥の会(事務局:東京。以下、当会)は、希少鳥類の重要な生息地である勇払原野の東部(苫小牧市字弁天~厚真町字鹿沼)で、大阪ガス株式会社(本社:大阪)とその系列会社である「Daigasガスアンドパワーソリューション株式会社」が計画する「(仮称)苫東厚真風力発電事業」に対し、事業の中止を求めています。
今年2月に縦覧された環境影響評価方法書に示された対象事業実施区域(以下、計画地)とその周辺で、国内希少野生動植物種や国の天然記念物に指定されているタンチョウやオジロワシ、チュウヒやマガンなどの生息が明らかになっており、当会は、これら希少鳥類の保護の観点から、計画当初(2020年5月)から事業を進めることに反対してきました。
ネイチャー研究会inむかわ、酪農学園大学、(一社)タンチョウ研究所による共同調査では、2017年に続き2021年も1つがいのタンチョウが計画地内で繁殖し、7月17日まで2羽の幼鳥を含む親子で浜厚真地区に生息していたこと、そして、計画地が今後もタンチョウにとって重要な繁殖環境を提供し続ける可能性が高いことが確認されています(日本野鳥の会苫小牧支部 2021)。
また、今年の7月31日から8月1日にかけて、計画地を含めた浜厚真地区で生物相調査である浜厚真Bioblitz 2021が実施されました。その結果、全国的に極端に個体数が少ないチュウヒとアカモズの繁殖が確認され、これらの種が毎年繁殖している浜厚真地区とその周辺は種の存続にも関わる重要な生息地となっていることが分かりました(先崎ほか 2021)。また、これまでの調査により、シロチドリ、マキノセンニュウ、ハイタカ、オオタカ、オジロワシなどの希少種にとっても重要な繁殖地となっており、サンカノゴイやウズラも繁殖している可能性があることも分かりました。
さらに、(公財)日本野鳥の会が2021年に行った計画地とその周辺におけるチュウヒの繁殖状況調査では、6つがいのチュウヒが繁殖を開始し、2つがいで4羽の幼鳥を巣立たせたことを確認しています(日本野鳥の会 未発表)。
上記の希少鳥類には、風力発電施設(以下、風車という)の建設によるバードストライクや生息地放棄の発生など影響を受けやすい種が多く含まれ、この事業の実施が計画地およびその周辺に生息するこれらの希少鳥類に及ぼす影響は大きいことから、事業を中止しない限りは、影響を回避できないと予測します。
特に国内希少野生動植物種に指定されているチュウヒは、国内推定数90つがい(環境省 2015)のうち6つがいが計画地内で今年繁殖しており、風車建設で全つがいが生息地放棄等を起こした場合、国内繁殖数の約7%が消失することになります。
当会は、風車建設がタンチョウやチュウヒなどの希少鳥類の繁殖に影響を及ぼすことは回避不可能と判断し、希少鳥類保護の観点から、令和3年12月13日付で事業者に対し「タンチョウの繁殖確認による(仮称)苫東厚真風力発電事業の撤回を求める要請書」を提出し、事業計画の中止を要請しました。
また、令和3年12月13日付で北海道知事宛、環境大臣宛、苫小牧市長宛および厚真町長宛に「タンチョウの繁殖に伴った(仮称)苫東厚真風力発電事業に対する要望書」を提出し、事業の見直しを含む厳しい行政勧告を事業者に対し行うよう要望しました。
公益財団法人 日本野鳥の会 自然保護室/中村(なかむら)・浦(うら)
TEL:0144-58-2505(中村)/03-5436-2633(浦)
E-mail:[email protected](中村)/[email protected](浦)
※掲載いただけます場合には、お手数ですが上記の担当者までご連絡くださいますようお願いいたします。
※写真はデジタルデータの提供が可能です。使用については必ずご相談ください。禁:無断転載。
〈別紙詳細資料〉
日本野鳥の会 組織概要
組織名:公益財団法人 日本野鳥の会(会員・サポーター 約5万人)
代表者:理事長 遠藤孝一
所在地:〒141-0031 東京都品川区西五反田3-9-23 丸和ビル
URL:https://www.wbsj.org/
道央圏にある石狩低地帯の一角で、苫小牧から太平洋に至る一帯を「勇払原野」と呼んでいます。 勇払原野はかつて釧路湿原、サロベツ原野とともに北海道の三大原野と言われていました。
約3万6千haの原野を構成する湿原の面積は、過去50年間で著しく減少しているものの、 残された自然環境は、ラムサール条約湿地であるウトナイ湖を含み、水鳥や草原性鳥類、 絶滅のおそれのある鳥類の生息地として重要な役割を果たしています。
勇払原野は台地、砂丘、湿原、湖沼と複雑な環境を持ち、先住のアイヌ民族が暮らしていた時代から、川を利用した太平洋側と日本海側を結ぶ交通の要衝として、またサケやシカ等の資源に恵まれた土地として、自然と共存した文化がありました。勇払原野の開拓は江戸時代後期からで、農業開拓は湿地と霧、火山灰土に阻まれ、あまり進展しませんでした。
その後1960年代からの高度成長期に、空港に近く、海にも面した広大な平地として目をつけられ、 第三次全国総合開発計画の一環として、国内有数規模の重化学工業地帯をめざした「苫小牧東部開発計画」がスタートしました。しかしその後オイルショック等の社会情勢の変化により、当初計画の1万700haの 土地の多くが未利用地域として残され、また農地として開拓された場所が放置されて原野化し、結果として鳥類の良好な生息地となっています。