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現在掲載している内容は、2001年〜2004年に作成されたものです。
大都会・東京におけるハシブトガラスの多さは、端的に言って、異様である。あんなにうじゃうじゃカラスが群れている公園や街路は東京以外では見たことがない。盛り場の路上のゴミや、オフィス街のランチのサンプルなど、カラスにとって絶好の餌がこれほど豊富に揃っている街は、そうないからだろう。もちろん、ハシブトガラスがこれだけ生息している都市は、世界に他にありようがない。というのは、ハシブトガラスの分布は東アジアに限られていて、その分布域に東京ほどの大都市はないからである。その代わり、世界各地の都市では、ハシブトガラスが東京で占めている位置を、他の鳥が占めていることがある。 ミヤマガラスなどごく一部の種類を除き、カラス類(Corvus 属の各種)は昼間、大きな集団で行動するような習性の鳥ではない。だから同じカラスの仲間がハシブトガラス的な役割を果たし、かつ数が多いという都会は少ない。その数少ない例のひとつがインドのムンバイ(旧名ボンベイ)。アラビア海に面したこの大都会の街路は、はっきり言ってあまり清潔には見えない。そこに小型のイエガラスが大量に生息している。絶え間ない車の騒音と行き交う人々の喧噪の中、路上で我が物顔に餌をあさり、電線に列をなしてとまっている光景を異様に感じないのは、ムンバイと東京の人だけかもしれない。 イエガラスは割に東京のハシブトガラス的な習性で、インド洋に浮かぶスリランカの商業首都コロンボでも、大群が朝の街をにぎわせているのに出会ったことがある。この鳥が普通に見られる場所(主に南アジアの海岸地域)では、必ず人の生活に密接してくらしている。ムンバイと同じインドでもずっと北方のデリーでは、イエガラスだけでなくもっと小さなムクドリの仲間のハイイロハッカやカバイロハッカ、ズグロムクドリなどが、街中を歩き回るコブ牛の足や力車の車輪の下で一緒に餌を求めてごそごそしている。 世界的に見て、人が集中する都会はどこも中型〜大型の鳥の姿は少ないのが普通で、鳥が最も多いと言われるアフリカでもそれは同様だ。スズメの代わりにイエホオジロが民家の軒先に出入りするモロッコでも、近代的なビルが建ち並ぶナイロビでも、都市でカラスの代わりをしているのは、人間であることが多いようだ。カラスは基本的に都会を外れた自然の中でもごく少なく、ケニアなどで探鳥していても一日に数羽見るくらい。印象的だったのはビクトリア湖畔のキスムで、町に隣接した港ではサギに近い仲間のシュモクドリが東京のハシブトガラスと全く同じに大挙してゴミをあさっていた。 北方に目を移すと、どこの大都会もカラスは少ない。北京の冬はカラスが多いが、大半は越冬中のミヤマガラスで、夕方に主に目につくぐらいである。そのミヤマガラスは集団繁殖することで知られているが、街では繁殖していても田舎の町の鳥ではない。ヨーロッパやアメリカで、カラスの代わりに大都会で目につくのはカモメの仲間だ。海や川に面した大都会では、カモメ類が平気でビルの谷間を飛んでいる。東京でも海に近い地区ではユリカモメやカモメなどが運河沿いによくいるが、これは冬だけの現象。それに反し、同緯度でカモメ類が普通に繁殖しているヨーロッパや北米の諸都市では、年間を通じてカモメ類が身近だ。北半球ではもっぱらセグロカモメが多いようだが、驚いたのはカナダ西岸のバンクーバーを訪れたときのことで、ビル街を飛び交っていたカモメはすべてワシカモメであった。 南半球では、南米にはいわゆるカラスは分布していないが、都会でのその位置はクロコンドルによって占められていて、ゴミ捨て場などでは大群を見ることも珍しくない。オーストラリアには各種のカラスが生息しているが、いずれも都会には姿を現すことは少ない野の鳥だ。住宅地などで餌をあさっているのはクロトキやムギワラトキ、それに白い大型のインコのキバタンなど。いずれも多数というわけではないが、公園の芝生や家の庭などに当たり前に見られ、日本の、というか東京の常識とのギャップを実感させてくれるのである。
「東京のカラス問題」は、1999年に本会東京支部が開いたシンポジウム『とうきょうのカラスをどうすべきか』がきっかけとなり、大きな進展を見せている。多くの人が、「カラス問題」とは私たちの「ゴミ問題」であることに気づき、問題解決に向けて動きはじめた。「カラス問題はカラスのせいではない、私たち人間がやらなければならないことがもっとあるはず」。そう考え、日々東京のカラス問題に関わっているお2人を、港区新橋、豊島区巣鴨に尋ねてみた。
烏森通り、烏森神社、新橋駅烏森口…東京都港区の新橋駅界隈には「烏森」の名称がやたらと目につく。一説によると、かつてこのあたりは「江戸湾」に隣接する松林が続き「枯州」「空州」と呼ばれていたそうだ。実際にその松林には烏も多かったのだろう。その末裔たちと現代の人間がいま熱いたたかいを繰り広げている。 名刺の肩書きは「廃棄物管理指導員保管場所担当・技能長」とある。大野忠由さんは2年前、東京都清掃局から港区に清掃事業が移管になり港東清掃事務所勤務になった。ちなみに港区では2つの清掃事務所があり、「港東清掃事務所」が新橋、浜松町、虎ノ門、三田などを、「港西清掃事務所」が麻布や青山、六本木、赤坂といった町を管轄している。砕いていえば、雑居ビル群や飲食店など比較的昼夜人口の移動の激しい町の清掃が大野忠由さんの担当である。 なかでも「汽笛一声の新橋は港区の顔」と大野さんはいう。1872年(明治5年)、「鉄道唱歌」で知られる日本最初の鉄道は新橋と横浜間で始まった。「その新橋の街をきれいにしなくてどうする」というのが町内会長を口説くときの大野さんの「殺し文句」だ。
「こんなにひどいのか」
しだいに雨あしの強まるなか新橋駅前の繁華街を大野さんが案内してくれた。狭い路地に商店や飲屋がびっしりと軒を連ねる。その通りと筋違いの路地の一角にある老舗の割烹。その暖簾をくぐりながら「いつもなら裏口から入るんですけどね」と大野さんは笑う。 大野さんとは「あうんの呼吸」という割烹の主人・松島一良さんは、新橋2丁目町内会の衛生部長をつとめる。その松島さんは「ゴミで街の環境が悪くなったのは十数年前から」と嘆く。子どものときはゴミ容器にフタをして自宅に保管し、他人に迷惑をかけないよう決められた時間にきちんとゴミを出したそうだ。町内にはゴミ出しを監視するご意見番もいた。そんな時代から様変わりし、いまは多くのビルが貸ビルとなって夜間人口は激減した(駅周辺の新橋1〜6丁目だけをとると夜間人口は昼夜人口の約27分の1になる・1995年の国勢調査から)。当然のように地元意識は薄い。テナントによっては営業を終えたあと夜中に生ゴミを出して帰るところもあるという。それを早朝、カラスがここぞとばかり食い散らす。 そのようすを港東清掃事務所に赴任したばかりの大野さんは何十枚とデジタルカメラに納めた。そして、その証拠写真を持って各町内会の役員宅を訪ねたという。返ってきた反応は一様に「こんなにひどいのか」。 朝の9時には清掃車が来て集積場のゴミを運んでいく。そのあと街は見た目にはきれいになる。だが「通常2〜3分で終えるところを10分も20分もかけて清掃員が散らかったゴミを清掃している」(大野さん)実態を知る人はほとんどいない。「行政にも限界がある。私たちと協力して汽笛一声の新橋をきれいにしよう」。そのことを大野さんは町内会ごとに何度も足を運び訴えていった。 飲食店やテナントなども清掃事務所の10人のスタッフと一緒に1軒1軒訪ね歩いたという。開店を待ってのことだから夕方の6時過ぎになる。朝の早い清掃員にとっては辛い時間帯。しかも新橋一帯の事業所数は「カラスの数より多い」。裏口から店に入りゴミ出しの規則を書いたビラを渡すと丁寧に受け取ってくれるところもある。しかし「仕込みの忙しい時間に何しにきた!」と追い返すところもあったそうだ。
一般市民の視点からみた「カラス対策」
東京JR巣鴨駅近くの住宅街。星維子さんはこの街で2年間にわたりカラスの調査を続けている。フィールドは自宅から1キロ四方の散歩を兼ねてできる無理のない範囲。学校や公園の樹木、幹線道路沿いの電柱、ビルの屋上などカラスが巣を作りそうな場所が観察の対象となっている。昨年はビル屋上の看板の内側や電柱など自然木でない場所に巣を作るケースが目についた。 カラスの調査をしているといっても「私は普通の主婦」と星さんはいう。以前からカラスに興味があったわけではなく、1999年に開かれた第1回カラスシンポジウム(日本野鳥の会東京支部と立教大学の共催)に、新聞をみて参加し、そこで研究者と出会ったことがカラスに関心を抱くきっかけとなった。 調査を続けていくうちに、星さんは一般家庭から出る生ゴミの量はそれほど多くないと思うようになった。防鳥ネットが普及してきたこともあり、きちんと管理すればそれほど神経を使うことはない。むしろ「飲食店から出る生ゴミや単身者用のアパート・マンションから出るコンビニの弁当くずをカラスがあさっているのを目にする」と星さんはいう。 自治体による一般家庭の生ゴミ対策も「堆肥化しようにもそれを撒く土地がない。ゴミ分別も自治体によって扱いがバラバラ。もっと一般の人がわかりやすいルールが必要」と、続けて次のように指摘する。 「一般の主婦からみると、そもそもモノを作るところから考えないとゴミ問題は解決しないと思う。カラス対策とは直接関係ないにしても、スーパーやコンビニで賞味期限の切れた総菜や弁当の行方はどうなっているか。こうしたことこそカラスが人間につきつけている本質的な問題だと思いますね」。 イヌイットやシベリアのチュクチ族、中国など世界各地の神話で神の使者と崇められるカラスは、日本の『古事記』にも太陽を司る神の使いとして登場する。そのカラスがいま日本人の食と生活のありようを問いかけているというのだ。 「わが家の反省を込めていえば、うちの子どももジュースなどを飲むのにコップを使うことを面倒くさがります。500ccの紙ペットボトルから直に飲んでポイと捨てる。わが家だけでなく、いまの世の中、自転車でも家具、家電製品でも買い替えるより使い続けるほうがお金がかかる。そんな生活スタイルを変えていかないと」。 「そろそろ人間も変わらなければ」。頭上から人間を見守るカラスはそう叫んでいるのかもしれない。東京都が火をつけた「カラス対策」。視点を広げ、じっくり取り組んでみることの必要性を感じた。
新橋とはうって変わって静かな住宅街の巣鴨。30分ほどご自宅の周りをぐるっと歩く範囲が星さんのフィールド。その中に10か所も巣をかけた場所がある。「ほら、あのビルの屋上に」「この電信柱の上に」とこともなげに指す星さんだが、その観察眼とともに、意外に身近なところに巣があることに驚く。息子さんたちが通う小学校では大きなクスの木にカラスが巣をかけた。図工の先生が野鳥の会の会員で、巣立つまで、カラスの巣が見える窓を紙でふさいで子どもたちにそっとしておこうね、と話してくださったという。
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「このままでは鳥関係者は発言権を失ってしまう」。トラブルが増え続けるのに、一向にだれも手を挙げない。銀座、新宿、渋谷、池袋。日本を代表する繁華街で毎朝繰り広げられている醜態を見ながら、また、何の関わりもない一般市民が襲われてケガをするという事件を知りながら、さらに、危険回避のための通学路変更という事態が頻発しているというのに、鳥関係者は積極的にその問題に関わろうとしない。そんな状況に10年ほど前から疑問を感じていた。「カラス好き」という人は、約5万人の日本野鳥の会会員の中でかぞえるくらいだろう。 逆に「嫌い」という人はその何十倍になると思われる。私自身もその生態的位置は認めながらも、好きとはいいがたい印象を持っていた。しかし、東京での実態を見ていて、何が原因で「カラス問題」が生じているか知っていた。「主犯はカラスではない、ゴミ問題だ」と。このままではカラスが悪者になり、駆除されることになるだろう。そのときになって、「カラスも野鳥だ! 殺すな」と叫んでも遅い。1999年1月。今さらと揶揄されながらも、何とか間に合うという段階で、シンポジウム『とうきょうのカラスをどうすべきか』を、日本野鳥の会東京支部・立教大学共催で立ち上げ、昨秋4回目を実施した。 そのあたりの事情やシンポジウムの内容については、拙共著『カラスとネズミ』(岩波書店、2000年)や『カラス・シンポジウム報告書』(日本野鳥の会東京支部、1999年)をお読みいただくとして、結果は、野鳥の会会員や鳥関係者だけでなく、一般市民、行政関係者やメディアが高い関心を持ち呼応してくれた。誰もが由々しき問題だと認識し、何とかしなければという気持ちを持っていた証拠である。シンポはその引き金だったわけで、それ以来、カラス問題は表舞台に出て、その年の春に行われた東京都知事選の際には、石原現都知事はカラス問題への取り組みを公約とした。その表れとして、昨年夏「カラス撃退宣言」を打ち出し、都職員から公募で人を集め「カラス対策プロジェクトチーム」を作り、1か月後には「捕獲」と「ゴミ対策」の2本柱を打ち出すという荒技を繰り出してきた。前者については容認できない施策であるが、これまでに自主的な「ゴミとカラスの関係」や「ねぐら」調査を行い、シンポジウムや勉強会などを重ね、確信のできる結論を得ていたので、ある意味で余裕を持って対応することができた。その結論とは、一昨年秋のシンポジウムでアピールした「とうきょうのカラスが自然に減るような対策を考案し、緊急に取り組もう」ということで、具体的には、(1)ゴミの減量対策を強化するとともに、ゴミ(生ゴミや残飯など)とカラスが接触しないような収集方法を至急考案し、実施すること。(2)カラス問題の対応をきちんと議論すること。(3)カラス対策の実施にあたっては、事前・事後のモニタリング調査を行うこと、である。 現段階では、(1)については、首都圏の各自治体がさまざまな創意・工夫をこらし、対応を考えるようになってきている。(3)については、神奈川県に続いて、昨冬、東京都が個体数を把握するための「ねぐら調査」を初めて行った。(2)については、住民や行政などからの目に見えるような動きはまだない。しかし、多くの人が「カラス問題」の問題点はカラスではなくゴミであるということを理解した今、住民・行政・専門家の三者による有意義な検討会の早期実現が必要である。難問の解決へ道のりは第二段階へ進もうとしている。鳥関係者のもうひと働きが必要なときである。
レポーターにマイクを向けられ「ここはいつもゴミがひどいんです」と苦笑する通行人。「カラスが来て糞をするので、汚くて」という主婦。東京では、街中でゴミが散乱するとカラスが悪者になりがちで、「自分の街は責任をもってきれいにしよう」という人がいるとかえって話題になります。 こうした現状を憂慮した東京支部は、上段記事のようにカラスシンポジウムを立ち上げ、解決のために、鳥類専門家と行政、住民の協力を提案してきました。また、東京支部・奥多摩支部は現状を把握するために、本会と共同調査を行ってきました。ここに、折り良く環境省から、自治体担当者向けのカラス対策マニュアルを制作の依頼が飛び込んできたのです。研究センターでは今までの議論を生かすと共に、自治体にも取材するなどして、実践的で分かりやすいマニュアルを作成することを心がけました。 野生動物のことをよく知らない人は、「邪魔者は駆除すれば簡単に減らせる」と思うようです(2001年12月号40頁参照)。カラスについて住民からの苦情や相談を受ける行政担当者も、カラスについてよく知らない人が多いのが実情です。このマニュアルはそういう人でも対応策を考えることができるようにしなければなりません。マニュアルを作る際に共同制作者の野鳥観察家・松田道生さんとともに一番苦心したところは、「駆除の迷信」をどうやって打破するかという点でした。 「いやー、いいものができました。全区民に読んでもらいたいですね」とS区のHさん、「まず役所の内部で勉強会をしたい」とK区のOさん。続々と嬉しい声が届き、このような行政の方々との一体感は、制作者一同にとってかつてない喜びでした。 私たちは、カワセミのような「きれいな、かわいい」鳥に夢を求めることが多いと思います。しかし、身近な鳥であるカラスやスズメは日本野鳥の会の会員でも観察している人が意外に少ないのがわかりました。カラスは人類の誕生以来、ずっと人の近くでくらしてきた鳥です。カワセミが「空飛ぶ翡翠」なら、カラスは「空飛ぶ手鏡」と言えるでしょう。東京では、おごった生活をしてきた人間の身代わりに、カラスが罰せられています。都市住民の生活を映す鏡としてカラスは、そのつぶらな黒い瞳で私たちに何を訴えているのでしょうか。 (黒沢令子/日本野鳥の会自然保護室)
カラスと人との軋轢は、東京だけの問題なのか。竹中さんの報告にあるように、札幌市ではすでに東京に似た状況が生じているようだが、他の都市はどうなのだろうか。何人かの方に伺ってみた。 『カラス対策マニュアル』の執筆者でもある松田道生さんは、旅先でもカラスの動向を気にしているが、名古屋市や鹿児島市では、繁華街にハシブトガラスの姿をほとんど見かけなかったのが、東京と違って印象的だったという。 大阪府の鳥獣専門員の佐々木勇さん(大阪支部)によると、府庁へ届く鳥獣関係の苦情のうち、7割がドバト、3割がイタチに関するもの。カラスについてはたくさん並んでいるから怖いとか、にらんでいる、とかその程度で、実質的な被害は少ないとのこと。高槻市でカラスの研究を続けている中村純夫さん(大阪支部)も、大阪ではさほど大きな問題とはなっていないという。しかし、ゴミ問題にきちんと取り組まないと、東京のようになってしまうのでは、という危機感はあり、府のホームページでは、カラス対策のコーナーも設けられている。 京都市でも繁華街では残飯を求めて集まるカラスの姿が見られる。辻義一さん(京都在住)は木屋町でゴミの収集時間とカラスの飛来数には大きな相関関係が見られるという興味深い調査を続けている。 田村耕作さん(福岡支部)のお話では、福岡市内にはハシブトもハシボソも両方いて、ねぐらもあるが、人との軋轢はそれほど大きな問題となっていないそうだ。カラスといえばミヤマガラスが11〜3月に大きな群れで渡って来ることの方が大きな話題になる。 極めて断片的な情報だが、こうして見てくると、東京のような「カラス問題」は都市に共通の問題とも言いきれないようだ。しかし、軋轢の少ない地域でもそれがなぜなのかを説明するだけの資料に乏しい。カラスの数や行動、そしてゴミの量や収集方法との関係など、現状ではまだまだ調べられていないことが多く、東京のような大問題に変化する可能性がまったくないとも言い切れない。東京のカラス問題を「他山の石」とし、自分の住む街の人のくらしと、カラスとの関係に注意していく必要がある。すでに東京・神奈川・千葉県・京都の各支部では、支部報でカラスの生息状況やねぐらに関する情報提供を呼びかけているし、宮古・長崎県の各支部では調査をはじめている。 あなたの住む街のカラス事情はどうだろうか。ぜひ改めてカラスにも目を向けてみてはどうだろうか。